Sep 30, 2015

te



S u m m e r
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時間と夏


夏は何度も時間が止まった。
時間が止まったというより、一日という枠組みから外れた時間が不意にあったような。
それはとても優しくて、薄明るくて生温くて。
時間の上を歩く代わりに時間が身体に染み込んでくるような重さがあったけれど、
重たく感じるものではありませんでした。

この建物は映画館だったそうで、そのせいか外の音があまり聞こえず、
より包み込まれる感覚が大きいように思う。
夏は見えるのに夏の音は聞こえない。
この中に置いたものにもそう、季節はないかもしれない。
だからものが季節の音を発する事もなく、音を必要とすることもなく。
夏は、扇風機くらいかな...。
あと花を飾った時。
これからのその季節になったら置きたいものもあるのだけど。

時計の時間と違う時間。
刻むようではなくて満ちるとか欠けるとか、時計より大らかな時間に外れた時間は似ていました。
同じような時間がいくつかあっても、あの時間はこの夏だけみたい。

子どもの成長が早いと感じるのはその存在が愛であるからではないかといつか思った。
それと同じように大切な時間程過ぎるのは早くて、
外れた時間も早くて、
大好きな夏は早くて。
もうすっかり秋です。




Sep 29, 2015

te



S p r i n g
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宵の実の季節の記録です。
三月の中旬からオープンまで、ほぼ毎日をこの部屋で過ごしていたので、
私はこの部屋の春を知っているはずなのだけど、今殆ど思い出せずにいて、
だから春は来年に書きとめようと思います。

今少し思い出せるのは、
しばらくの間積み重ねたままだった入口の床に敷いた石の上に座って
昼の時間を過ごしていた事。
作業の為に硝子には養生をしていたから擦り硝子を透して入ってくるような不透明な明るさに、
部屋の中はしんとしていて、白い石の粉っぽくて、壁紙を剥がしたままの壁と石が冷たかった。

あの人にはこんな席が似合うかな...色々な人の顔とか、
ここにはどんな景色がみえるのかな、と考えていた事。
このまま大工さんもいいなと思っていた事。
夢中になりすぎて空間が出来上がってきた頃にはもう達成感でほぼ燃え尽きていた事。

来年の春を、楽しみにしています。



Sep 14, 2015

te



f o u r  h o u s e s
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四つ目の家


最後の家です。
私はこの家に暮らしてはいないのだけれど、
宵の実の始まりはこの家です。

庭から、扉を二枚開くと目の前に広がる部屋で宵の実を始めました。
春が夏を迎える頃です。

庭には大きな木があって、それはとても特別に見えた。
鳥がよくやってきていたし、藍色が錆びたような色の実が生る木。
「宵の実」という言葉を考えていた時、頭のどこかにこの木もいたように思う。

沢山の人に訪ねてもらった家。
感じてもらえた時に、はじめて料理をつくれた事となるように感じた家。


場所が生まれれば、何かが自然に育つのだと思う。
差し出したいものはつくれるものではなくて、
差し出したいものが溢れでてくるような場所をつくること。
差し出したいものが溢れてくるような、そんな自分になってしまうこと。
ただそれだけの事なのかもしれないです。

だから色々な方から今、ありがとうとさようならを伝えてもらえているこの家は、
何て素晴らしい事かと思う。
この家を思い返す時、そういった方達の風景は幾つも浮かんでくるのです。

何かがなくなった匂いや景色をみて寂しかったり懐かしく感じるのは、
何かがそこに在った感触を知っているから。
今、あそこへ立ったなら、何が見えるだろう。


この家は、そこへ行きはしなくても、ただ在ることの美しさと、
安心感を感じていたかもしれないです。

この家へ通って下さった方々へ、
.....この家をつくってくれた人へ、
心から、   ありがとうございました。


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ひとつの家、ひとつの空間の中で、
巡る姿、纏いまつわるもの、流れるもの、在るものと在ることに交ざっていくものの
優しさとそのものへの愛おしさと。
それを感じること、そうしたら何か世界が広がったような。
その気持ちで見る今までの日常のなんて新しいこと。
溢れているものをみれる事。
豊かさのこと。愛のこと。
それは全部繋がっていたこと。

カフェでも食堂でもなく、
今の宵の実を「宵の実としたのはそんな可能性をもっと深く知りたかったから。
そこに、食事があってもいいし、何か物体でないものでもいい。
これがやりたい事の一つ目です。

時間がかかりそうだけど、どこかへ戻る感じはなくて、だから少しづつ進みます。
事の在り方が少しでも変わっていくといいなという想いと。

ここへ綴っていく事が宵の実の記憶のようなものになったら楽しそうだな...
瞬きしないと読めない程の、長い話になったらいいな。




Sep 1, 2015

te



w a v e
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